「libido:AESOP」を始動するにあたり 2020.5.30-
考えていることがいくつかあります。
まず一つが「ハラスメント(暴力)」のことです。昨今、演劇業界の中でも多く問題提起されるようになってきましたが、これまでの様々な経験や体験の中で、自分ごととして強く意識を持つようになってきました。「演出家」というある種、権力を持ちえてしまう生業に従事している者としても、「演出家の役割」というものを新たに考えていかなければと強く感じています。
次に、自身のこれまでの「古典戯曲を上演する」だけの創作方法に一つの区切りがきたように感じています。「古典戯曲」、又は「戯曲」に拘らない、それより広義の「言葉」というものを扱う創作方法というものにも挑んでみたいと思うようになっています。
最後に、コロナウィルスに起因する様々な問題に今まさに直面しています。その中で、自身の「距離」という考えに新たな視座が生まれたように感じています。これまでになかった環境の中で「身体の乖離」を感じています。この体験から新たな表現の可能性が何かあるのではないかと、その方法を考えています。また、演劇はやはり“LIVE”じゃなきゃダメなんだとも実感させられました。自粛の2ヶ月間、ずっとその“LIVE”ということを考えていました。”LIVE“は「生」という意味において”演劇“と深い親和性があると思うんですが、それ以外にも「住む」とか「暮らす」という意味もあって、僕にとって”演劇“はそういうものでありたいと強く実感する2ヶ月でもありました。「“LIVE”するために演劇をする」というのが改めて私の演劇座標になったように思います。
この1年は「ハラスメント(暴力)」というテーマの元、「言葉」への新たな関わり方を模索することになるかと思います。そこに「距離」という視点も絡ませ“LIVE”する。これが今年の創作のテーマです。
上記でのテーマを考えていく上で1年を通し、世界中にその影を残す寓話作家の元祖・イソップ(アイソーポス/AESOP)を扱います。彼が残したとされる『イソップ寓話集』を下敷きに、各所でリサーチと作品創作を行います。
イソップといえば「イソップ寓話集」ですが、この寓話集はイソップが書いたものが集まっているわけではないそうです。イソップの時代に語られていた寓話が「イソップ」という代表的な寓話作家の名の元に死後、発表されたそうです。
この「イソップ寓話集」はその後、世界中で親しまれてきました。その中で、各国で独自の展開を見せた話もあります。またはそれぞれの国で似たような話が以前からあった例もあります。「言葉」だけが飛躍していき、「イソップ」が作られています。
「イソップ」とはなんなのか?今回の着眼点はそこにあります。この「イソップ」という“なにか”の中に、「ハラスメント(暴力)」があり「言葉」があり、「身体の乖離」があると感じています。
今回はこれまで以上に実験で冒険です。私自身、戯曲以外のものを使って大きな作品を創作するのも初めてに近い経験です。しかし、原初的な「創造」ということに改めて立ち還り、楽しみたいと思っています。そして、このコロナ禍の”終わりのない”旅路の中で、「生きる」ための希望を見出していけたらと思います。
theaterapartmentcomplexlibido:代表・演出家 岩澤哲野